【短編小説】DKの朝
「DKの朝」
DKこと鈍器野婚具郎、彼の朝は早い。いつも鳥が鳴くより早く目覚める。DKには毎朝決まっている長いルーティンがあるのだ。起きるとまずカーテン(バナナ色)を開け、軽い伸びから数十秒のドラミング。今日のテーマソングはトロピカル無職にするウホ。
テーマソングといってもスピーカーから音楽を再生するわけでもイヤホンやヘッドホンで聴くわけでもなく、DKの頭の中で勝手に流れているだけだ。
ドコドコドコドコドコドコドコドコドカン
近所(森)から苦情を言われないのが不思議なくらい騒がしいドラミングが終わると、ようやくベッド(バナナ柄バナナ型)から出る。食パンに薄くカットしたバナナを並べ、トースター(バナナ色)にブチ込む。パンを焼いている間に、残ったバナナとバナナオレをフードプロセッサーでかき混ぜる。
ギュイーーーーン
この特製バナナジュースは毎朝DKの眠気を吹き飛ばし、活動スイッチをオンにする。バナナジュースが完成するとすぐさま一気飲み。コップに注ぐことなく、フードプロセッサーから直で喉に注ぎ込む豪快さがドンキーコングらしいと思っているからだ。
(バナナ飲めばドンキーコングウホホッ。)
かつてDKはバナナが嫌いだった。あの独特な臭い、どう調理しても消えない繊維感がどうしても好きになれなかったからだ。しかし、この黄色い果物をバクバク喰らいパワーアップしていくドンキーコングの『野性』を見たときDKは心震え、バナナ尽くしの生活に身を浸すことを決意した。
初めは苦痛だったが、少しでもドンキーコングに近づけると思えば続けることができた。早く慣れるために家電や家具は全てバナナ色バナナ柄バナナ型に買い変え、それだけでは飽き足らず遂には森へ引っ越した。やり過ぎかと思われるが、DKは全く後悔していない。嫌いだったバナナも今ではすっかり好物だ。
チーーン
トースターの音だ。焦げ具合を確認する。いい感じウホ。
満足したDKはパンを取り出しテレビに向かう。香ばしい香りのするパンを片手にゲームキューブを起動。
「トュルトュルトュルトュルトュルトュルトュルトュ、トュン!ウホっ」
これを口ずさまないと始まらないウホ。いつもの練習メニューをこなし、実戦練習に入る。オンラインでの戦いも慣れたものだ。
DKは東京ドームの地下闘技場で不定期に開催されるスマブラ大会で目下8連覇中の現王者である。あまりの制圧力に付いた二つ名は「ゴリラ・ドミネーター」。「比類なき力強さとスピードを持つ一方、精密な動作も可能である」最強クラスのドンキー使いとして恐れられており、また全スマブラプレイヤー中屈指のガードキャンセル攻撃、通称「ガーキャン」技術を持ち合わせている。人々はDKのことを天才だと囁くが、彼らの中にDKの虐められた過去や現在の努力を知るものは誰もいない。
そうしてオンライン対戦を19戦終えたとき、時刻は8時ジャスト。そろそろ登校しなければ。キリもいいし次でラストにするゴリよ。
最後の相手も難なく叩きのめしたDKはカバンとママチャリの鍵を持って家を出る準備をする。しかし、スマブラに夢中だった彼は気づいていない。まだ服を着ていないことに。
股間でまだ熟しきっていない一本のバナナと、森の寒さに冷えて縮み上がっているヤシの実二つを揺らしながらDKは玄関の扉に手をかけた。いつもここで家の奥から母の声。
「DK〜、ご飯忘れてるわよぉ〜」
母はDKの努力を知る数少ない人物だ。父は単身フィリピンに赴いており今は家にいない。
「母さん、ありがとウホ」
「はいっ。お父さんが送ってくれたバナナい〜〜っぱい入れといたわよ。一人前のドンキーコングになれるように頑張ってね。」
「ウホホッ!行ってっきまウホ〜〜」
後輪のブレーキが壊れたママチャリを快調に飛ばしていると、森を出たところで毎日鎌たりんが現れる。
「おはよぉ〜こんぐろうくぅ〜ん💕待ってたよぉ〜💞💞」
コイツはなぜいつもこんなところにいるんだウホ。家は学校から正反対だろうがウホ。
「おっ、おはよウホ」
「今日もいい毛並みね💕…ってこんぐろうくん、服着てないじゃないの!!」
ここでDKはようやく服を着ていないことに気づいた。またやってしまったウホ、、、。
「も、し、か、し、て〜〜??私を誘ってるの〜〜!!??💞💞💞」
そう言ってニヤニヤしながらDKの完熟バナナを食そうとする鎌たりん。服を着忘れたことを指摘してくれたのはありがたいが、コイツにおれのJr.を食させるわけにはいかない。申し訳ないがここで死んでもらおう。DKはスマブラで会得したテクニックでヨダレを垂らす鎌たりんの乳首を2連タップ、鎌たりんは即座に血を吹いて絶命した。
さて、そろそろ急がないとまずいウホ。服も着たことだしチャリンコぶっ飛ばすウホよ。
学ランを着て全力でチャリを飛ばす後ろ姿は正にゴリラ。
DKの朝はさながら『戦場』なのであった。
完
※この小説は、2017年6月11日に書かれたものです。